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大阪地方裁判所 平成10年(わ)1123号 判決 1999年1月12日

主文

一  被告人を懲役二年に処する。

二  未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成一〇年二月三日ころ、大阪市港区夕凪<番地等省略>甲野太郎方において、フエニルメチルアミノプロパンの塩類を含有する覚せい剤結晶約〇・〇三グラムを水に溶かして自己の身体に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである

(証拠)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件覚せい剤使用は、覚せい剤性精神病に陥った後に、その妄想の支配下において決意、実行されたもので、被告人には本件犯行当時、責任能力はなかったか、少なくとも著しく責任能力の限定された状態にあったものである旨主張する。

別件の非現住建造物等放火未遂被疑事件(犯行日平成一〇年一月二五日)及び建造物侵入、器物損壊被疑事件(犯行日平成一〇年一月三一日、以下両被疑事件を合わせて「別件被疑事件」という。)に関する乾正作成の平成一〇年六月一九日付け精神鑑定書謄本(30)は、別件被疑事件の犯行時の被告人の精神状態及び鑑定時現在の被告人の精神状態を鑑定事項とするものであるが、その鑑定主文は、「一、被告人は、別件被疑事件犯行時、覚せい剤精神病による幻覚妄想状態にあった。二、別件被疑事件犯行は覚せい剤精神病による病的体験に支配されておこなわれた。三、別件被疑事件犯行当時、被告人は『物事の是非善悪を判断し、それにしたがって自己の行動を統御する能力』は失われていたと考える。四、被告人には鑑定時現在、なお顕著な妄想体系がみとめられる」というものであり、被告人の精神状態についての考察として、要旨、「被告人が別件被疑事件犯行動機として供述する内容の概略は『昭和六〇年八月加古川刑務所を出たあとおかしなことが起こるようになり、はっきりおぼえてはいないが、ともかく訳のわからないことを言う。昭和六二年一二月に神戸刑務所を出所し、半年位して覚せい剤をまた使うようになったが、その前から同じようなことを言ってきた。それ以後今までずーっと言ってくるのがつづいている。』、『ナガノという未知の人物が正体不明の集団により長年にわたり監禁され脅迫されている。そのナガノ氏と被告人は神経や盗聴機でつながれており、ナガノ氏を通して被告人もさまざまな苦痛を与えられ、彼等の命令に従うようにいやがらせをされ、脅迫されている。ナガノ氏を早く救出しなければならないと思って手紙を警察関係者等に出しつづけているのに警察は黙殺しナガノ氏の捜査、救出に動く気配がない。そこでやむを得ず、別件被疑事件の犯行に及んだ。被告人の犯行であることはすぐ露見する。犯行そのものは法的に許されないものであるが事件を訴えつづけ、何度犯行をくりかえしてもナガノ氏の捜査・救出に動こうとしない警察の姿勢に腹をたてナガノ氏を救出するという正義のために別件被疑事件の犯行をおこなった。犯行により逮捕されるのはナガノ氏を監禁脅迫している集団の方であり、被告人自身が逮捕されるとは思ってもいなかった。』というもので、その内容は非現実的であり客観的事実ではあり得ず、被告人がその精神内景でつくりあげた妄想体系によるものであることは疑いない。しかし、被告人にはこれに対する病識はまったくない。自分が逮捕されたという事実も警察・検察の策謀であると、その妄想体系の中に組み込まれているらしい。」、「被告人の精神障害は多数の正体不明の人物の声が聴えるという『対象なき知覚』と定義される幻聴、未知のナガノ氏と神経をつながれて、それらの人物からナガノ氏を通して自分につよい痛みなどの感覚が加えられるという体感幻覚、そして、それらの人物から長年にわたりさまざまないやがらせや苦痛を与えられ、自分のまわりにはさまざまな策謀が張りめぐらされているという、『病的な状態から生じた、訂正不能のあやまった判断』と定義され(一)動かし難い確信(二)経験や推理によって影響されない(三)現実にはあり得ない不合理な内容、という三条件を満たしている妄想を主症状とする『幻覚妄想状態』と診断される。」、「被告人の妄想は持続しており、被告人の精神障害は『覚せい剤精神病』の遷延持続型とするのが妥当である。」、「被告人にはその判断や行為に影響を与えるような知的能力の障害はない。また、被告人は別件被疑事件犯行当時の状況について連続的にこれを想定することができ、その供述にも不一致はなく一貫性のあることから別件被疑事件犯行当時被告人になんらかの意識障害が存在した可能性もない。また、被告人は酒を嗜まず酩酊もあり得ない。」、「別件被疑事件犯行当時、被告人は覚せい剤を周期的、または継続的に使用し、覚せい剤精神病による幻覚妄想状態にあり、体系化された妄想にその生活を支配されていたことは疑いない。」、「別件被疑事件の犯行は覚せい剤精神病の病的体験に支配されておこなわれたと考える。」、「被告人は、別件被疑事件の犯行以前から犯行当時にかけて、覚せい剤精神病の病勢のつよい状態下にあり、その幻覚妄想などの病的体験に人格を支配されていたと推測する。」、「別件被疑事件の犯行当時、被告人にそれなりの判断力や行為に対する計画性などがみられたとしてもそれは著しく狭窄した非現実的な異常心理にもとずいたものであり、別件被疑事件の犯行における行為は一貫して覚せい剤精神病の病的体験に支配されており、この際作動されるべき被告人の理非弁別能力や自己統御能力も失われていたと考える。」、「別件被疑事件の犯行直前の覚せい剤使用状況は不明である。しかし、その犯行後尿中から覚せい剤の成分が検出されており、別件被疑事件の犯行が覚せい剤使用下におこなわれていたと考えられる。おそらく覚せい剤の急性の薬理作用による気分の高揚、欲求の亢進、抑制力の弱体化などが行為の実行に影響を与えていたと考える。」旨述べている。右鑑定の経過及び結果については、不自然・不合理な点はなく、右鑑定主文及び被告人の精神状態についての考察として述べるところにはその信用性を疑わせるような事情は認められない。

本件は別件被疑事件から数日後の犯行であり、右精神鑑定書及び被告人の公判供述に照らせば、本件犯行当時においても、覚せい剤精神病により、被告人には別件被疑事件当時と同様の幻覚・妄想が存在していたという点については、十分にこれを首肯することができるところであり、捜査段階での供述調書では全く触れられていないものの、「未知の人物が神経で嫌がらせをする。いやがらせで痛みを加えて、覚せい剤いけと言い、いけば嫌がらせをやめるので、覚せい剤を使用することとした。」旨の被告人の公判供述を否定することはできないというべきである。しかし、右精神鑑定書、被告人の公判供述及び捜査段階での供述調書等の本件関係各証拠によれば、被告人には、その判断や行為に著しい影響を与えるような知能の障害は存在せず、本件当時の追想は連続的に可能であり、一貫性のあることから本件犯行当時意識障害の存在した可能性はなく、脳の器質的障害や身体的異常が精神状態に影響を与えている可能性はないことが認められるところ、被告人には、覚せい剤取締法違反の実刑前科が三件あり、被告人自身、覚せい剤の違法性については十分に自覚しているところであって、本件犯行当時も覚せい剤を使用してはならないこと、これが許されないことは十分に認識していたものであり、かつ、実際に使用するに当たっては、これを使用しないで済ませようと考えれば被告人の意思により使用しないことができたものと認められる。したがって、別件被疑事件については、確かに、前述の幻覚・妄想に支配されていたことにより、自己の行為が許されるものと考え、事理弁別能力及び行動の統御能力に欠けていたものであるが、本件覚せい剤使用については、その経緯となる生活状況や動機において、前述のとおり別件被疑事件と同様の幻覚・妄想が影響を与えていたと考えられるが、それによっても、被告人において正当な理由や動機付けとなるものではないことは認識しているのであるから、被告人においては、本件覚せい剤自己使用が許されず、これが犯罪となることの弁別能力には全く問題がなかったものと認められる上、行動の制御能力についても、本件の被告人において、通常の覚せい剤常用者の覚せい剤自己使用と異なる点は見いだし難く、その責任能力に影響を与えることはないものと認められる。

以上、被告人は、本件犯行当時、本件覚せい剤自己使用については、事の理非を弁識する能力及びこれに従って行動する能力を欠く心神喪失の状態になかったことはもとより、これが著しく減弱した心神耗弱の状態にもなかったものと認められるから、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)<省略>

(裁判官 菱田泰信)

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